【インド旅行記】おれのタージマハールの写真はどこやねん。|Pay it Forward(恩送り)を学んだ旅

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「インド旅行したら人生変わる」「下痢でアホほど痩せる」とか、ただの謳い文句やと自分も思ってました。

ところがどっこい、自分もマンマとそのインドの術中に見事はまった。

人のことをすぐ信じるMR.平和ボケとして、反省しかない旅となりました。
財布も携帯も盗られて現地の思い出は、全く形には残っておりません。

同時に、助けてくれた人(ほんとに頭が上がらない。。)には人生で大事なことを教えてもらった気がした。そんな旅の雑記です。

安全に旅したい人は、HISで安心できるツアーを予約したり、いろんな旅行サイトを比較できるトラベルコで自分にあった旅行プランを選んだほうがいいですよ。

普通に命の危険を感じた国なので。

①:現地で友達できる
②:めっちゃ案内してもらう
③:ディナー中、気づかぬうちに睡眠薬飲まされる
④:現在地不明・一文無しの状態から、魂で日本へ帰国
⑤:助けてくれた人から恩送りという概念を学ぶ

Day1|インド旅行は半端じゃなかった、夜道危ない

2016年の春。

ニューデリーに着いた。カンボジア・ドイツやら、リュック1つで行った経験があったので、少し自信があったのだろう。

「宿なんて現地で見つけてなんぼやろ。わっしょい!」みたいな心構えで行ってしまった。

普通に夜道怖い。ホラー的なノリじゃなくて、身の毛がよだつやつ。
毛が抜け落ちてる野犬がおるねんもん、病気なりそうな怖さ。

なんとか彷徨って宿見つけたけど、宿は予約しておくべきだった。笑

booking.comやらhostel worldやら便利なサイトがあるのに、無意味なチャレンジだったと思う。

Day2|ホーリー祭に巻き込まれる。陽気になってThe END


2日目。インドといえば、タージマハール。

これを見逃さないわけがいかないので、アーグラという土地まで行った。

なんとまあ、ラッキーなことにその日がホーリー祭だった。
ホーリー祭とは、春の訪れを祝い、みんなで色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝うやつらしい。国中でカラーランしてるようなもん。

道中、服はしっかり汚れた。笑
でもタージマハールは見なければいけない一心でTシャツを着替え、トゥクトゥクのおじさんと運賃の小競り合いをし、なんとか到着できた。

タージマハールは、もうすごい。「CGやんこれ!」って何回も思った。
無駄に写真も取った。

そんな感じで帰路、浮足立ってたら、ホーリー祭を楽しんでいたらしい同士を見つけた。

普通にいい人だと思った。だって奢ってくれるんだもの

ホーリー祭を楽しんでいたらしい彼は、インド人。インド一周中らしい。

お互い旅行プランや、文化の違いを少し喋って仲良くなった。と思っていた。

服装も白シャツで、自分のために電車の時間とかも全部電話して確認してくれる紳士っぷり 。

さらには移動中のTaxi代もランチ代も、一緒に見に行った映画代も全て奢ってくれたし、肩を叩きながら笑ってくるんだもの。

「お〜これぞバックパックの醍醐味!現地の人と遊んでなんぼのもんじゃい!」

とルーキーバックパッカーとして粋がっていたのが、今思うと恥ずかしいネ。

いや、怪しめよ。めっちゃカモにされてるやんそれ。

って普通思いますよね。はい、カモにされました。

夜のディナーは忘れもしないケンタッキー。2F席を陣取り、彼は1Fに注文しに行ってくれた。

「It’s on me(ぼくのおごりだよ)」と言い残して。

単純な自分は、「ああ、インドは貧富の差が大きいというが、こいつはブルジョワ側の人間だ」と確信してニンマリとご馳走してもらった。人の金で食う飯ほど美味いものはない。

気づいたら寝ていた。起きたら吐いた。

この辺から記憶が危うい。

ご飯の前は、ウトウトしだした記憶しかなく、起きた後はすぐに吐いてもう目の前には彼がいないとう事態だった。

どうやら、睡眠薬を仕込まれていたらしい。

アーノルドシュワルツェネッガーがアクション映画で、毒薬飲まされながらも何とか体を動かす姿とか見たことあるけど、あんなん無理。フワーってなってすぐ寝ますよ。

さあ困った。財布も携帯もない。パスポートはあった。

マウンテンパーカーはなかった。(猛暑の国なのになぜ盗った?)

ああ、終わった。タクシーで移動していたから現在地も全くわからない。お金もない。

Day3|アドレナリン全開。インドで現在地不明/無一文からの帰還

ケンタッキーに着いたのは夜19時くらい。一眠りしたから22時くらいだったと思う。

ここから翌日にかけては、知らぬ間にアドレナリン全開になっていた。

人って危険状態になったら、ポテンシャルやばいんだなと思う。
この時は、体力・精神力・脳みそのキレ、全て段違いだった気がしている。

何にも躊躇することなく、「目指すは空港!早く日本へ帰る!!」これしか頭になかった。

でも、どうやって帰ろうか。

帰還作戦1:とりあえず最寄駅いきゃ、なんとかなる。

ケンタッキーを出て、トゥクトゥクを捕まえれば、駅までいける。

お金はないけど、「ここは情に訴えかけてタダで乗せてもらったらええんや!」

我ながら自分がかわいそうだったので、こんな気持ちで交渉した。

トゥクトゥクの兄ちゃんはわかってくれたようで、駅まで乗せてくれた。

でも降りるやいなや・・・・・、「○○ペソだよ。」

またやられた。情状酌量なんてありゃしない。

「でもほんまにお金がないんや。ここは物々交換でいったれ!」

ということで、被ってる帽子を引き換えに交渉してみた。

確か「Made in JAPANの良い帽子だから、これで許してくれ」みたいな感じのことをいったように思う。

これで一旦難を逃れた。ありがとう、日本製。笑

帰還作戦2:無一文で、空港までいかに近づくか。

なんとか駅まで来れた。インドは夜行列車があり、乗り込んだ。

時間感覚なんて機能してなかったから、ただの始発だったかもしれない。

ともあれ、駅がゲートとかガバガバだったからスルりと入り込めた。

しかし、空港の近くまで行くには、乗り継いで改札がバッチリある電車に乗らなきゃいけない。

そこを突破するのがほんまの正念場。運賃稼ぎに路上で一発踊るしかないかな〜と思ったりした。

しかしこれらは全て、杞憂に終わった。

電車で出会ったバックパッカーと友達になり、この一連の話をしていたら「おまえ、、大変だろうから。。」って10ドルくらいくれた。ああ。人間の美しさよ。泣きそうになった。

これでちゃんと改札を通って、空港までいける。。!

帰還作戦3:フライト変更代を集めねば。てか無料で変更できると思ってた

なんとか空港まで着き、ホットしていた。
人間本気出せばなんとかなるもんだな〜救いの手もあるし。とルンルンだった。

本来帰国日は数日後だったので、フライト変更してもらえば、あとは帰るだけ。

チケットカウンターで変更お願いした。

「40ドルです。」

これは一本取られた。まだ帰れへんやん。(自分が無知だっただけ。)

でも「さすがに、無料でも変更してくれるでしょ。こちとら睡眠薬飲まされて、無一文。」

と自信があったので、5回くらい相手にされないながらもチケットカウンターへ懇願しに押しかけた。

答えはNO。

こういうところはお堅い仕事してんだな、と拗ねた。

でもまだアドレナリンはギンギンのギン。

「じゃあお金集めてきてやらあ!」

プンスカして到着ゲートに移り、座り込んだ。

日本人が出てくるのを待って、土下座してでもお金を借りよう。そんな意気込みだった。

「あと一歩なのに。。」

前日、まともに寝てないせいもあり、ウトウトしながら待っていた。

1時間は待ったと思う。ついにスーツ姿の、いかにも日本人らしい男性2人が来た。

自分はみすぼらしい、無精髭の生えた怪しい若造。
こんな奴がいきなり話に来たら嫌だったと思う。

でも、もう突っ込むしかなかった。話しかけてみると実際に日本人だったので助けを乞うた。

しどろもどろで状況を話している自分にも、とても真摯に対応してくださった。話もしっかり聞いてくださった。

「困ってるときに、日本人どうし助け合わなくてどうするの!」

「暗くならないで!」

そして、金銭的な話をこちらからする前に

「いくら必要?」と財布を出してお札を数え出した。

結果的に、多めに3万円ほど貸してくださり、お相手の名刺をいただいた。
自分のパスポートの写真も念の為撮っておいてもらった。帰国後連絡してお金を返す運びとなった。

ずっと1人で緊張状態だったのが、こんなにも優しさで包んでもらえて、緩んで、泣いた。

この種類の涙は、人生で初めてだと思う。

最後には、気持ちよく雑談してくださった。今でもこのお方の名刺は、お守りのようにずっと財布にいれている。

本当にありがとうございました。ちなみにこのお方、名刺を見ると社長だった。さすがとしか言いようがない。

無事帰国。Pay it Forward(恩送り)を学んだ。

社長から拝借したお金で無事チケットカウンターで、フライト変更し、帰れた。

下痢はしっかり喰らったけれど、そんなもんどうだってよい。生きてるだけでまるもうけ。

普通に考えたら、内臓取られて今頃ガンジス川に捨てられてたかもしれぬ。

帰宅後すぐ、社長に連絡した。御礼と返金したいので、住所を教えてくださいと、伝えた。

こんなメールが返ってきた。

メールをありがとうございます。
無事に帰国とのこと、良かったですね。安心しました。
お渡ししたお金は返金には及びません。
●●さんが元気に仕事や活動をすることが、今後の日本には大切なこととなります。
●●さんの諸活動にいい形で生かして下さい。
また、どこかでお会いしましょう。

もう言葉にならなかった。心が震えて、机に座ったまま呆然とした。

後日、この話を後輩にした。

「それ、Pay it forwardっすね」と教えてくれた。なるほど。

受けた恩とか親切を、その人ではなくまた別の人につないでいくことで、好循環が生まれるという考え方らしい。

社長は、Giveすることで社会が良くなるということを体現していて、それを教えてくれた。

一生モノの教訓も与えてくださり本当に恩人である。

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